栃木県宇都宮市のタクシー会社。観光タクシー、福祉や介護、病院への送迎などもお任せください!

TEL0120-622-333
タクシーのご用命はお気軽に。

日本遺産に登録された大谷石文化

大谷石の採石産業で発展してきた宇都宮市が「地下迷宮の秘密を探る旅~大谷石文化が息づくまち宇都宮~」として2018年(平成30年)5月に「日本遺産(Japan Heritage)」の認定を受けました。構成文化財は写真(上)のカトリック松が峰教会をはじめ、大谷資料館、大谷観音など38におよびます。

宇都宮が誇る「石の里」をめぐる

JR宇都宮駅からおよそ9km、市街中心部の北西約8kmに位置する大谷には、大谷石で造られた巨大な平和観音や大谷観音などの見どころが集まっています。

市街地を抜けて、多気山(たげさん)と丘陵地が大きく見えはじめると景色は変わり、鋭く切り立った灰白色の奇岩群に囲まれます。ここが「大谷石」の産地、宇都宮市の大谷地区。約1500万年前に起こった海底火山の噴火が、石の文化の源となる膨大な凝灰岩の地層を産み出しました。


大谷の奇岩(御止山/左)と大谷観音(大谷磨崖仏/右)

この大谷石の岩山は、縄文時代に洞穴を住居とし、古墳時代には横穴を掘って墓地としても利用。奈良・平安時代には、日本最古の磨崖仏とされる大谷観音を自然の岩窟の壁面に彫りだし、信仰の場を作り出しました。

巨大地下迷宮の大谷資料館と平和観音

大谷資料館は「Cool Japan Award 2017」を受賞したことでも知られ、外国人審査員の評価も高く、「行きたい場所」の1つとして海外の人たちにも人気です。

1919年(大正8年)の手掘り時代から1960年(昭和35年)までの採掘場の歴史を学べる大谷資料館。その広大な地下空間はまるで別世界。深さ約30m、広さ2万㎡にもおよぶ大谷石の地下採掘場跡は、天井と壁・柱で構成された巨大な空間で、全てがひとつの石の塊として壁面に採掘の痕跡が残ります。大谷石の採掘場の多くは地下にあり、地表下100mに設けられた採掘場も存在します。


大谷資料館内部(左)と平和観音(右)

なお、大谷のシンボルである平和観音は、日本遺産の構成文化財には含まれていませんが、高さ27mの大きさと、日本敗戦後の戦没者の慰霊と世界平和を祈念し、天然の大谷石の岩壁に総手彫りして造られたことから、大谷資料館と一緒に知っている人は多く、パワースポットとしても有名です。

大谷石の産業と近代日本の都市づくり

大谷石が本格的に建材として採掘されるのは江戸時代頃から。当初は農閑期に露出する石を採掘していましたが、明治以降は採掘産業として本格化し、輸送手段の発達で出荷量は飛躍的に増加しました。

大谷石は宇都宮のみならず、東京や横浜にも出荷され、そこで「日本ならではの建材」としてアメリカ建築界の巨匠・フランク・ロイド・ライトによって旧帝国ホテル[※]の建築に大谷石が採用されるなど、近代化する日本の都市づくりの礎となりました。

[※]大谷石が使われた旧帝国ホテル本館の正面玄関部分が愛知県の博物館「明治村」に移築され、今もこれを見ることができます。


大谷の石材店㈱屏風岩(左)と露天掘り(カネホン採石場/右)

かつて大谷石を運んだ街道には、いまでも石材店が連なります。現在実際に採掘している現場を公開している露天掘りの採石場もあり、地下空間の大谷資料館とはまた違った感じが味わえます。

まちづくりと大谷石

城下町・門前町として発展した宇都宮の市街地では、まちづくりに大谷石を使い続け、都市のシンボルである二荒山神社の石垣をはじめ、教会や寺、公共建築、豪商の屋敷、民家の塀まで、用途・身分・宗教を問わず大谷石が使われました。

大谷石で外壁を覆うカトリック松が峰教会の聖堂では、浮彫を施した大谷石を複雑に組み合わせ、象徴的な丸いアーチや西洋中世の教会建築の意匠を実現。対照的に、日本聖公会宇都宮聖ヨハネ教会聖堂では、同じ大谷石でありながら、石の自然な表情を活かした素朴なたたずまいの敬虔な信仰空間をつくりだしています。


カトリック松が峰教会(左)と宇都宮聖ヨハネ教会(右)

なお、大谷石は耐火性に優れ、調湿・消臭効果も備えるため、食品醸造に適した建材です。味噌や酒、醤油などの商家の蔵に多く用いられました。江戸時代から続く老舗では、いまでも石蔵で宇都宮の味をつくりだしています。


栃木県庁(ロビー/左)と雨どい「カン蛙」(右)

やわらかな大谷石は様々な表現・活用を可能とし、多様なデザインを欲した都市づくりに重宝されています。大谷石の採掘場をモチーフにした5層吹き抜けの栃木県庁1Fの県民ロビーや、カトリック松が峰教会にある大谷石の雨どい「カン蛙」など、人々の憩いの場となる場所にも用いられています。

生活と共に歩む「大谷石文化」は新しい時代に

宇都宮の農村部には、田園と大谷石が一体となった素朴な景観が広がっています。また街の中でも、散策するたび、自由自在に姿を変えた大谷石との出会いがあります。

現在の宇都宮・大谷石の文化は新たな可能性の時代に入っています。地下の採掘場跡は探検の舞台となり、市内に9,000棟ある大谷石の建物は、カフェやギャラリー等への転用が進んでいます。そして今も地場産業として採掘は続き、大谷の地下迷宮は拡がり続けています。

大谷石との付き合い方は時代とともに変化を続け、今も魅力を放ち続けているのです。

<情報掲載 2019.6.24>


関連商品

↑ PAGE TOP